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黒色

寝食を忘れて仕事をするという表現があるが、そうやって頑張っている会社は今でも山ほどあるはずだ。
個人的にもそういう経験を積み上げる中で、多くのものを見い出してきたと思っている。


つい最近、自民党が「ブラック企業の社名公表」を次期選挙の公約に掲げるという話を耳にした(現実的にはツイッターを見た)。
話の発端は1ヶ月以上前のことだが、ブラック企業として取沙汰されることもある飲食チェーンのオーナーが参院選に担ぎだされるという話から、再び「ブラック公表」の話題が増えているようだ。


冒頭書いたように、時間を忘れて一生懸命に働くことが是でないなら、人材という資源しか持たない日本は一体どうすればいいのか? そして、そうやって働くことをよしとする集団を挫くかもしれない「ブラック企業」狩り旋風はいかがなものかと思う面がある。


私の主張はこうだ。
まず、「低賃金で長時間労働を強いる」……これは明らかに経営の怠慢(同時に労働する者からの収奪行為)であって許されない。もちろん、法的にも問題になるケースが多いわけで、安い賃金で休みもなく働かせるのは「悪」。これは社会的制裁の対象であると考えている。


一方、経営者も死ぬほど働いている。しかも低賃金で死にもの狂いで働いている。その成長欲求に共感して社員もまた寝食を忘れて働いている。ところが、それについていけない(脱落する)社員が出る。その社員が辞めていく。かなりの率(例えば入社して半年以内に半分は脱落する)で辞めていく。これは「悪」なのか?


会社を成長させるということはそんなに甘いもんじゃない。9時5時できれいに働いて企業を成長させるなどおとぎ話だ。というか、聞いたことがない(あれば、教えてほしい。もちろん、成長率の程度にもよるだろうが、昨日より今日、今日より明日と日次で成長を刻んでいこうとする会社ならフツウの働きっぷりじゃ絶対無理だ)。


大いなる矛盾がここにある。つまり、世の中は「成長」を求めている。アベノミクスの三本の矢のうち、最も見えないのが「成長」だ。ごく簡単に考えれば、経済的成長を実現する術は「多くの人々がたくさん働くこと」だ。
できれば、それらの人々全てが喜々として前向きに(言葉通り寝食を忘れて)仕事ができていることが望ましい。しかし、それを出来ない人が生まれるのもまた事実。でも、それは成長を実現する為の副産物ではないのか?


私はたくさん働くことをよしとして成長した企業をたくさん知っている。それらの企業に共通して言えるのは、社員に対する要求程度がとても高いということだ。その結果、ついていけずに辞める社員が出る。
そうこうしているうちに、会社としての基盤が豊かになり(時に上場してみたり、業界を代表する会社になってみたり)、やがて労働条件を緩和していくというプロセスを踏んでいく。成長を牽引し、社員にどんどん要求してきた経営者も徐々に丸くなり、「まあ、そこまで言わんでも」ってな具合でユルくしていくのが通常で、そこで「ブラックっぽかった」成長企業が「まともな企業」へと脱皮(黒からグレイ、グレイから白への転換……人の老化プロセスに似ている)するわけだ。


ところが、そうしたユルい脱皮を拒否する経営者もいる。私はそれがファーストリテイリングの柳井さんだと思っている。柳井さんの要求程度はどうやら全く衰えていない。おそらく自分への要求レベルも全く下がっていないし、当然組織への要求も田舎の安売り用品店の当時から大して変らぬレベルを維持しているのだ。
これが凄くなくて何が凄いのか?(これだけでもファーストリテイリングの株を買う理由になる) フツウの(それでもフツウとは言いがたい成長企業なのだが)会社なら、経営者の要求レベルが切り下がって、世の中に認めてもらえる「良い会社」「大人の会社」になろうと考える。デカイ会社になって、世の中から責められるなど堪え難い。ところが、そんなことは知ったことかとばかり、成長フルスロットルをやり続けているわけだ(すげえ)。


ファーストリテイリングはブラック企業公表が始まってもブラック企業になることは100%ないだろう。だって、法的に問題になる行為があるとは考えられないから。(もし、離職率が高いという理由でブラック認定されるようなことがあったら、こいつは大変なことになる。厳しい環境の会社が離職率が高いのは避けられないのだし、辞めるというチョイスこそ働く者の権利なのだから、それが正常に行使されているに過ぎないはずだ)


さて、こうして考えると、今ブラック扱いされる名の知れた会社たちはほとんどブラック認定されないものと思われる。というのは、今、ブラック扱いされている(例えばユニクロ)会社たちはほとんど法的に問題がないであろうからだ。
それではなぜ彼らはブラック扱いされ、それが流布して止まらないのか? その本質は、それらの会社が世の中に「嫌われている」からだと思っている。ユニクロの製品を日常的に買っていても、なんだかユニクロが気に入らないという人が結構いる。しまいには、柳井さんも大っ嫌いという人もいる(会ったこともないくせに)。


要は、何だかフツウじゃない行動が鼻につくのではないだろうか? もし、彼らが極めて没個性的な行動しかしない会社ならブラックなどと取り扱われることすらないだろう。
また、(客観的に見て)嫌われても仕方ないだろうという発言や行動もあることにはある。
(柳井さんの「離職率半分はさすがに多いけど、三分の一ならフツウでしょ」という日経の取材での発言には驚いた。そこまで言わなくてもいいのにと……あるいは、渡辺美樹さんの「人間が働くのは、お金を儲けるためではなく人間性を高めるためである」というような極端なきれいごと。これについては、ナチスの強制収容所に掲げられていた「労働は汝を自由にする」を思い出す不思議)
そう考えると、世の中のブラック呼ばわりされている会社はもう少し見せ方を考えればいいはずだ(どうもその辺りが、嫌われることをよしとして故意にやっているようにも見えるのだが)。見せ方を意識することで、実際に中身も変わっていくのだ。


私は、ブラック企業なるものの公表を思想として賛成している。しかし、それが始まっても認定が難しいという点から、ほとんど機能しないだろう。一方、この動きを通じて社会に流れる「長時間労働」=「全面的に悪」という短絡的な思考が変に広がらないことだけは願っている。