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無糖(1/2)

『「ブラック企業」社名公表提言へ 参院選公約』



 ちょうど2年前に保存したツイートを読み返しているところに秘書官から声が掛った。



「そろそろ出発のお時間です」



 朝から分刻みで大量の来客をこなしているというのに、一息つく間もない。今次政権の内閣改造で異例の抜擢を受けた若きホープ白井政男は促されるままに副大臣室を後にした。



「ワイドショー出演後はすぐに埼玉の部品工場まで移動して頂きます。副大臣に最新の雇用の現場を見せたという企業がありまして」



 執務室からエレベーターに乗り込むまでのわずかな時間でブリーフィングを受ける。ここ中央合同庁舎第五号館裏手の車寄せには、すでに公用車が待機している。裏玄関へと足早に向かう白井に気付いた数名の記者が今話題の「(通称)ダメ人材採用法案」を成立させた若手政治家にぶら下がろうと先を争って駆け寄ってくる。秘書官が時間を理由に記者たちを遮る間に、白井は後部座席へ滑り込んだ。



「副大臣もすっかり“時の人”ですね」



 車が走り出すなり秘書官は軽口をたたく。特別取り合うこともない白井だが、内心では助手席に座る官僚が言う通りだと思う。そもそも当選二回という駆け出しでありながら、数多の先輩議員を差し置いて副大臣に就くなど異例中の異例だ。有名議員の二世でもなければ、輝かしい実績を持つ政治学者でもない。大学卒業後、政治家を志して秘書となった。朝から晩まで奴隷のように働き、三十歳にして党公認をもらったのが一つ目の幸運だった。



 最初の選挙では所属する党に風が吹き、若さも評価されて余裕の当選。しかし、二度目の選挙ではライバル政党が圧勝する中、惨敗だった。何の地盤もない選挙区で知名度のない若手議員は風だけが頼りになる。それでも、浪人中、細やかに票を集め手応えを感じていた。



 今次政権が出来上がる選挙では圧勝。猛烈なフォローウィンドが吹いたせいでブッチギリの当選だったが、底堅い支持が生まれつつあることも実感できた。いつまた別の風が吹き形勢が逆転されるかわからないものの、党側もその得票率を無視することは出来なかった。



 そんな背景から二つ目の幸運が訪れた。党労働部会で政策チームの一員に指名されたのだ。しかも、その直後に「ブラック企業の社名公表」という打ち上げ花火が上がった。党の政策決定に関与する重鎮が思い付きで発言しただけのことだったが、これがきっかけとなって党内にブラック企業対応の機運が広がった。



「それにしても左翼運動家までやってきて、副大臣に感謝して帰るんですからねぇ。信じられませんよ」



 秘書官が感心した素振りでうなる。



「あの女性は左翼なんかじゃないさ」白井はまっすぐ前方を見据えたまま言葉を継ぐ。「彼女には特定の政治信条などない。ただ目の前にある現実的な矛盾を解消しようとして立ち上がっているだけのことさ。彼女の弟さんはブラック企業でひどい目にあったらしい」



 



 白井はブラック企業撲滅を目指す女性活動家とのやり取りを思い出していた。最初に彼女と会ったのは党がブラック企業の社名公表を打ち上げた直後だった。



『社名公表なんて無意味です。さらに言えば、どんな基準でブラック企業を特定するというんでしょうか? 求められるのはもっと本質的な施策だと思うんです』



 党内の労働関係議員に片っ端から電話アタックしていた彼女を地元からの陳情と勘違いした秘書が誤って取り次いでしまったのがきっかけだった。始めは適当にあしらって終わらせるつもりだったが、彼女の道理には頷ける部分が多分にあった。



『つまりそれは、ブラック企業の社名公表という消極策ではなく、より積極的にブラック企業の実態を変革させる政策を打てと? そういうことですか?』



『その通りです。結局、彼らが抱える問題の本質は若い社員を安い賃金で長時間働かせているということです。さらに、深刻なのは、そうした若い労働力はいくらでも代替が効きます。企業は好きなだけ使い捨てが出来るわけです』



『使い捨てられてしまうようなスキルしかない社員側にも問題がある気がしますがね』



『そうです、全く先生の言う通りです。でも、昔の会社ならそういう多少ダメな人材でも我慢して使ったはずです。ところが最近の企業はそうした許容力を失ってしまいました。経営者は競争の激化を言い訳にして、すっかり堪え性がなくなってしまったんです。つまり、私のアイデアは一定規模以上の企業にダメ人材を強制雇用させるということなんです』



『ダメ人材の強制雇用!?』



 思わず聞き返しながらも、白井は彼女のアイデアに多少の現実味を感じていた。彼女の考えはこうだった。ブラック企業が生み出された素地は、失われた二十年間の中でゆっくりと、しかし着実に作り出された結果だ。各企業が国際競争力に打ち勝つべく派遣などの間接雇用を増やし、社員の育成へのコミットを放棄していった。結果として育成されない若手ダメ社員が数多く生み出され、そうした連中が人材マーケットに溢れかえった。若い労働力をテコに成長を目指す企業にとっては、それがうってつけの環境だった。



 採用できる人材はいくらでもいる。そして、酷使するだけ酷使して使い捨てたとしても競争激化を理由にさえすれば許される空気。誰からもさして責められず、競争相手も同じように行動していれば、企業に恐いものはない。そうして、ますます企業は人材活用に対する姿勢を「ブラック化」させ、今日ここに至ったのだ。



『だいたい過去最高益を更新しながら、雇用数は全く増えていないという企業ばかりですよ! そういう企業に未就業者たちの雇用責任を負わせれば、これまで使い捨てられていた人材がマーケットから減少します。つまり、代替を見つけにくくできるわけです。さらに、強制的に雇用されている間に少なからず人材のスキルは上がります。もし、強制雇用期間後に辞めさせられたとしても、その人材が次の仕事にありつく可能性が上がるんです。それを高い視点から眺めれば、日本の人材市場の価値上昇ということにもなるわけです』



『しかしなぁ……』



 白井はアイデアを噛みしめていた。この自由市場で企業に雇用を強制するなどあっていいことなのか? それを察するように女性活動家は更なるアイデアを披瀝した。



『自由市場の中で、雇用を強制するという発想に違和感があることはわかっています。でも、もし、企業に対して一定の解雇権を与えると言ったらどうでしょう? たとえば、五年以上勤務した社員や管理職であるなら自由にクビにしていいとしたら?』



 革命家のような鋭い眼差しでせまる女性活動家に白井は少しずつ引き込まれていった。