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品質の根幹にあるべきもの

昨日、私が経営するベイカリー「ポワンエリーニュ」が8周年を迎えました。

高級ベイカリー業界も実は動きが激しく、外国ブランドの日本進出はこの8年間も随分たくさんあり、その状況は今も続いています。
中には鳴り物入りで進出し、あっという間に複数店舗化し、これまたあっという間に縮小したかと思えば、撤退というケースもあります。

それらを見ていて、他山の石としなければならないといつも思います。
(ポワンについても問題があれば、教えていただきたいといつも思っています)

撤退していったブランドの終焉期は、たいがい商品の品質もサービスの品質も悪くなっています。
こうした劣化の具体性が大切だなと思って見るようにしています。
ある時、終わりかけている(撤退間近の)ベイカリーでレーズンパンを頼むと「2種類ありますがどちらですか?」と言ったきり、黙ってこちらの反応を待つという現象に出会いました。
こちらはどんな2種類があるのかもわかりません。
自分がほしいものをどう説明していいかもわからず困惑していると、舌打ちせんばかりのいかにも煩わしいという態度をされて驚いたことがあります。

おそらく、彼は毎日苛立って仕事をしているのだなと感じ、商品説明どころではなかったのでしょう。
もちろん、笑顔どころではなく、まともに視線を合わせるわけでもありません。
日々、仕事に追われるような環境だから接客が悪くなるのか?
あるいは、良いお店にしたいという気持ちがないからなのか?
おそらく、後者が先にあって、前者がさらに追い討ちをかけているのだと思います。

つまり、良いブランドにしよう、良い店にしようという気持ちが満ち溢れる職場にしなければ、良質な商品もサービスも生まれないということと思います。

これは、ACSの中古マンション事業でも感じることです。
中古マンション事業開始当初、投資事業だという考えが先行していましたから、お金に働いてもらうのであって、人に働いてもらうわけではないなどという傲慢なことを言っていました。
大変に反省していますが、(当たり前過ぎますが)この事業はお金にも働いてもらいますが、人にも働いてもらわなければなりません。

お金に働いてもらうという発想は事業をどこか無機的な方向に向けます。
つまり、マンションを人の住まいという観点で見ず、投資する対象に過ぎないという態度を取ることです。
そこに住む人が自分にとって大切な人ならどうか?
自分の親友が住むことになるとしたらどうか?

そうしたごく普通に持っていい感覚を失い、
この物件はいくらのバリューか?
劣後する点を金銭勘定するといくらディスカウントすればいいか?
などなど、そもそもそこに住まう人がいることを忘れ、単に物件価値を机上で考えるようなことを起こしました。

ACSでは事故物件を扱いません。
これは相当厳格にやっています。
例えば、火災が起きたお部屋。
これは、鉄筋まで火炎が及んでいる場合、構造上、克服できない問題になる場合があるからです。
いくら安くすればいいかを考える前に、そこに住むことを勧められるかを考える。
そうすると、火災が起きた物件の取り扱いは不可となりました。
(まだ経験はありませんが、技術上、全く問題なしと判断できるなら取り組む可能性はあります)

住まいの提供者としての当たり前水準への取り組みはまだまだ鍛錬が必要と思っています。