後天的学習の効果 | 丸の内で働く社長のフロク Powered by アメブロ

後天的学習の効果

自分の性格についてよくわからなくなることがあります。
どうやらそれは、先天的な本質と後天的な学習のぶつかり合いによって生じるらしく、ここに他人から見える自分が加わると更にややこしくなってきます。

先日もある方から(私の目から見ても、当然ながら誰から見ても、見識も高く人を見る目もある方)「鎌田さんはおっとりしている人」と言われてたまげました。
よく考えると、確かに私は落ち着いて見えるように努力していたり、感情の昂りが表面に出ないように頑張ったり、見方によっては「おっとり」しているのかもしれません。

同種のことで言うと、今日まさに北陸新幹線に乗り金沢に向かっているのですが(この文は車中においてiPhoneで作成)、この新幹線に乗る乗車時間が迫っているというのに焦るということがありません。
以前なら、発車時刻にはキリキリと神経を尖らせて、何時に家を出てどうするだの何だの思考を巡らせましたが、それも今は昔。確かに、私はおっとりしているわけです。

さて、そんな穏やかな私ですが、あらゆる日常がゆったりと穏やかに流れているわけではありません。
私の根っこにある本性がそう簡単に絶えるはずもなく、非常に些細なことでそれが目覚めるようです。

とりわけ、目について許せず黙っていられないのは、超ミクロな凡ミスです。
凡ミスにも色々あるので、不可効力でどうにもならないということもあるでしょう。
ですから、注意の前に、それが回避できたことかどうかは確認します。

でも、不可効力でない限り、小さなことだからと見過ごすことはなくなりました。
(言わなきゃわかんないというのが、いつの間にか持論になりました)
微妙に数字が間違っているレポート、連絡忘れ、計算間違い、何であれ細かいことをミスるということは、大きなことでも間違う可能性があるということの表れだと、これまでのビジネス経験で痛いほど身に染みています。

こう考えるとカリカリするのも後天的学習の成果かもしれない。私は後天的学習の信奉者ということになりそうです。