中古マンション屋の3・11 | 丸の内で働く社長のフロク Powered by アメブロ

中古マンション屋の3・11

自己改革せよなどと左翼のセクトみたいなことをよく言っていました。
いざ、自分が具体的な改革を迫られると、なかなかそれに対応できないというのに。

変な話、地下鉄に乗るのが嫌でした。マンションを売っているわけですからいろんなところに出向く必要があります。儲かっていないんだから運転手をつけている場合でもない。
効率を考えれば、当然公共交通機関を使うべきなんですが、恥ずかしながらそれを受け入れるのも大変でした。

土日に働くというのもハードルの高いものでした。中古マンションは小売業です。いまははっきりそう定義できます。でも、当時、小売というベタな捉え方ができず、投資という性格の違う定義を当てはめていました。
(小売だというのも、投資だというのも両方正解です。いまはバランス良く見方を区分できています)

それでもようやっと行動を変革して、震災前には土日に仕事をすることが定着していました。投資という考え方から小売業として消費者を理解しようと努力を始めていました。直接、顧客に会うために現地販売会も行い、知り合いが来たら嫌だななどと思いながら自分もそこに立ちました。

そんなちょっとした努力もあって、私はACSの事業がようやく軌道にのる感触を得ていました。
色んな失敗があって、それによってずいぶん学習したと。
授業料をずいぶん払ったよねなどと言いながら2010年の年末に浮かれた忘年会を開いた記憶があります。

そして、2011年3月11日。
あの震災によって、事業状態は振り出しに戻るどころか、以前よりもさらに悪くなりました。
まさか、こんなことがあるのかと、その時はずいぶん恨みました。
恨む相手がいないから、自分を恨むしかないですね。
とにかくできることからやろうと、どうにか気持ちを上げて取り組むしかありませんでした。

前回、城東地区の昭和築マンションについて触れました。
実は、昭和築のいわゆる「旧耐震」マンションを当時ACSはずいぶん抱えていたのです。
そういう物件たちが売れなくなることが見えていた私の脳裏に、あるおばあちゃんのことが思い浮かんでいました。

そのマンションに、ACSは在庫を持っていました。
さきほど触れた現地販売会をその物件でも開催していました。
そんな折、そのマンションの上層階に住む高齢の女性が相談にいらしたのです。
「自宅を売りたい」
そのお話を営業マンが聞いて、とんとん拍子で買取せてもらう話が進んでいきました。

なぜ、高齢にもかかわらず、おばあちゃんがご自宅を売ることにしたのか。
それは、体を悪くしたご主人を入院先から老人施設に移すためということでした。
もう、ご主人はこのマンションには戻れない。どこかしっかりした施設に移ってもらうほうがいい。
老人施設に入所するためにはまとまったお金が要る。だからこの部屋を手放すしかないと。
そういう切実な売り事情でした。

私も営業マンと一緒におばあちゃんの話を聞きました。
ああなるほど、こういう貢献もあるんだな、私はそんな風に思って、この事業への気付かぬ役割を見出し密かに嬉しく思ったものです。
そんな中、震災が起きました。
そのマンションにも震災の影響は色濃く出ていて、まだ売れていない在庫は相当な損失を覚悟しなければならない状態でした。

買うことは約束したものの、あのおばあちゃんの部屋を買うことはできない。
経営としては、やはりお断りするしかなかった。
営業マンだけで行かせるわけにはいきませんから、私も一緒に断りに行きました。

おばあちゃんは震災の時、逃げようとして玄関ドアに手を挟まれて、指が千切れかけたというので手に包帯をぐるぐる巻きにしておられた。
近所の人たちがいい人ばかりで助かった。たまたま行った病院に指の専門医がいたから縫合がうまくいった。
そんな話を聞きながら、ようやくタイミングを見つけて買えなくなりましたと切り出しました。

帰り道。
営業マンとトボトボと駅に向かいながら、自分がすごくホッとしてることに気づきました。
なんのことはない。
私はおばあちゃんがすんなり合意してくれたことに胸をなで下ろしていた。
困っているお年寄りを助けるどころか、話を断ってホッとしているこの様。
なんとも情けなく、それでもそれが自分なんだと受け入れるしかありませんでした。

あの時、震災を理由にいくつか進んでいたお話を断りました。
偉そうなことは言えない。全てを見直して出直すしかありませんでした。