進化系いらっしゃいませ | 丸の内で働く社長のフロク Powered by アメブロ

進化系いらっしゃいませ

ここ最近、行っていないお店に神谷町のインド料理屋があります。
インド料理屋というのも実にたくさんございます。
その遠い親戚がCoCo壱番屋をはじめとするカレー屋さんということになるのでしょうが、まあそれはあまりにも遠すぎることになるでしょうか。

さて、このインド料理屋さん(店はニルワナムと言います、都内にいくつかあるようです)、私が信頼を寄せる一つの理由に、行くと必ずインド人がいるということがあります。
まあ、もちろん、海外で日本人が行っている和食屋だから必ずしも旨いとは限らないということはありますが、ネット上の書き込みよりは確かではなかろうかと思っています。
(ネット上に流れる「うまい」「うまくない」といった情報がいかにあてにならないかを実感することはありませんか? 私の場合、自分の判断か信頼出来る筋からの情報しか信じなくなっています)

ここで今日、私はインド料理の質について書くつもりはありません。
(ニルワナムはまずまず良質な店とは思っていますが)
この神谷町のインド料理店で衝撃的出来事として記憶に焼き付いているのは、日本でも最も短いであろう「いらっしゃいませ」との出会いです。

店に入った瞬間の「さーせー」という掛け声。
「いらっしゃいませ」とはまるで違うというのに、「いらっしゃいませ」と言っているんだろうなと確実に想像させる端的さと率直さが短く集約されていました。

言葉にうるさい私としては、そのあまりにも短い「いらっしゃいませ」を可笑しくかみしめたのが一つ。そして、もう一つ思いを馳せたこととしては、その「さぁせぇ」のインド人の彼は聞こえた日本語をおうむ返ししながら言葉を覚えていってるんだろうなということでした。

ーーー最近、私も"china may want to have…”という英語のくだりを聞いて中国にメイワントという都市があるんだと思ったものです。
 メイワントが都市だと思うとchina's Mei-wang-to hasと勝手に聞き違えるから恐ろしいものです。

まあこんな具合に、海外から日本に来て「さぁせぇ」が少しずつ「いらっしゃいませ」に近付いていくという話はとても微笑ましいことだと思います。
(私は、こうしてどんどん海外から働き手がやってくることを期待している一人です)
その一方で、日本で生まれ育っているであろうサービス業従事者が使う「接客語」の酷さはどうにかならないものでしょうか?

かつて「とんでもございません」を使っちゃいけないと部下に指摘されたことがありました。
「とんでもない」は一つの形容詞なので、とんでもございませんは成立しないと。
「とんでもないことでございます」が適切な表現だと「部下」に教わりました。

まあ、もはや「とんでもございません」はとんでもなく流布している表現なので、それに目くじらを立てている場合ではないでしょう。
(私の感覚としては、すでに「とんでもございません」は日本語の一形態として広く定着してしまっていて、それを正しくないと指摘することが憚れるほどに市民権を得てしまっているように思います)

しかし「4名様でよろしかったでしょうか?」はどうしても気になります。
「4名様でしょうか?」で十分に丁寧な接客になっています。
ところが「よろしかったでしょうか?」などとさも丁寧かのように見せて、その実、おかしくなっているという点がどうも許せません。

これは接客語ではないのですが、もう一つ嫌だなと思うのが、役所の人が堂々と「続柄」を「ぞくがら」と読む点です。
「続柄」を「ぞくがら」にしてしまって、日本語は良いのでしょうか?
「続柄」はやはり「つづきがら」であり、「老舗」は「しにせ」であるべきじゃないでしょうか。

役所ではもはや「続柄」は「ぞくがら」と読んだ方が通じがいいという判断でそうしているんじゃなかろうかと思いますが、これではやがて、役所でも「さぁせぇ」と迎えられる日がくるのではないかと思ってしまうのです。