丸の内で働く社長のフロク Powered by アメブロ -4ページ目

できれば相場と無関係でありたいと

ACSで仕事をしていて不思議なことにあまり相場を実感しないということがあります。
理由として考えられる、もう一つのことは、相場の上昇・下降から遠い場所で取り組んでいるからだと見ています。

そもそも、不動産の仕事をするようになって、感じることの一つに「最近、いいんじゃないですか? 不動産は?」とやたらと言われるということです。
似たようなことは人材サービスを手がけていた時にも感じた気はしますが、その頻度が違います。
なるほど、みなさん、不動産の相場には関心があるのだなと思うのが一つ。もう一つはそんなにも相場から影響を受けるものだと思い込んでいるのだなという感想です。

確かに、不動産相場は注意深くみておく必要があります。なんせ重要な経済指標でもありますし、日本の土地が上がるか下がるかは重大な関心事でしょう。
しかし、一方、「住宅」という観点で見た時に、そんなに価値が上下したらたまったものではないと思いませんか?

下がるのは困るけど、上がるのは困らない? そうかもしれませんが、オーバーシュート気味に上がったものは必ず下がりますし、その時はオーバーシュート気味の下げになります。
振幅は必ず同じ大きさで調整されるものじゃないでしょうか?

住まいには、所有資産という側面と日常的に使用する生活拠点という側面とがあります。前者としての住まいが上がったり下がったりするのは納得できるかもしれませんが、後者としての住まいの「交換価値」が上下することは一般的にはとても不自由です。(お金持ちは無関係です。お金をたくさん持っている人にとって住宅資産は全体の中のほんの一部ですので)

いくらいま、アベノミクスで給料が上がりつつあると言っても、現実的にはそこまで所得は上がっていない。それなのに、買いたい場所の住まい価格がどんどん上がったりする。せっかく、コツコツと貯蓄していざ家を持とうと思ったら、買えない。これはどうでしょう?(日本が経済的に右肩上がりなら話は別です)

また、住宅を換金したいときに売りたい価格で売れないのも困りものです。あとで計算してみたら、家賃を払い続けるよりもたくさん払っていたなんてこともザラに起きてしまう。これもどうでしょう?

ACSがやろうとしていることは、すごく難しいのですが、ある意味で相場とは無関係な住宅供給なのです。前述の通り意義は大いにあります。問題はどうやってそれをやるかです。最初に申し上げなければなりませんが、この取り組みは勝てないチャレンジです。ただそうしようという努力だけです。そうすることで、多少望む場所に近づくだけで、永遠にそれを達成することはできません。(共産主義で不動産価格の統制でもしない限り無理でしょうし、バブル発生の原因となった土地価格の調整法を作るみたいなことはやってはいけないことと思います)

でも、努力すると多少はましになります。まず、新築では相場に抗うことはとても難しいです。そもそも資材価格がかなり相場を反映しますし、その結果工事費は時節に応じて上下します。また、土地調達価格も建物付きの現物とは異なり、相場を反映しやすくなりますから、新築価格は中古価格に比べて相場影響を受けやすいわけです。この点、ACSは中古マンション供給者ですから、相場に対抗しやすい要素をすでに持っています。

次にエリアですが、相場に影響を受けたくないなんて都心では不可能です。例えば、都心3区では無理です。経済が良くなれば真っ先に価格が上昇しますので。上がれば当然やがて下がるということでもあります。

それと、需給バランスが悪いところでは無理です。安定して需要と供給があって、ある程度均衡していれば価格は安定しやすくなります。となると、まずエリアでいうと、高度経済成長末期くらいに総合的に開発された住宅街がそれに該当します。中でも街の整備がうまくいっていて、教育環境も整っており、そこに住む世代が重層化している(2世代での引き継ぎが行われており、3世代目もそこに住もうとしているようなケース)ことが条件になります。

ACSではこういう街の姿を「コミュニティ力が高い」と呼んでいます(これについては、いずれお話できればと)。こうしたコミュニティ力の高いエリアは住民の循環がスムーズであるために、世代構成のバランスに優れており、その結果、需給が均衡的で価格が安定すると見ています。

さて、だいぶ書きました。エリア選びの後にはモノ選びとなりますが、時間となりました。また、機会をみて続きを書くつもりです。

実は、こうした相場影響を受けないことを目指すというコンセプトも当初から描いていたものではありません。自分たちがどんなお客さまにどんな商品を提供するのかという、ごく当たり前の決め事がない中で、漠然とした対象に漠然とした商品を提供していた。その反省が続いています。

そもそも、日本の不動産の価値が本質的に上昇する余地はそう大きくはないはずです。長期的には、むしろ、下がる可能性の方が高い。そんなごく基礎的な事柄と毎日の取り組みがどこかで繋がる必要があるんですね。そんなことを考えながら、中古マンション屋として励んでいます。

相場の波とニーズの潮目

このブログの下書きをevernoteを使って書いています。
なかなか便利だなと思うのは、noteに書いている内容に関連する記事が勝手に上がってきたりすることです。
前回書いたnoteに関連する日経新聞の記事として「中古マンション 一段高」なるものがありました。なるほど、ここ最近、やはり中古マンション相場は値上がりしつつあるのだなと、普段取り扱っている商品なのに、一般の人と同じような淡い感覚でそれを読みました。

中古マンション 一段高
日本経済新聞 電子版. 2015年3月20日
http://www.nikkei.com/article/DGKKASDJ19H2A_19032015QM8000/

実のところ、私は中古マンション相場の上昇も下降も実感したことがないのです。
もう6年近くも事業として手がけてきたというのに!
相場が上がったなとも下がったなとも感じたことがありません。

もしかしたら、これはまだ手がけている戸数が少ないということが原因かもしれません。
あるいは、相場の上昇局面も下降局面も極端な「波」を経験したことがないので、その実感にかけている可能性もあります。
いずれにせよ、今、中古マンションが強く値上がりしている実感はないのです。
(もしかしたら、今後、そういう「波」を実感するかもしれません。そのときは、この場でそれを共有させてください。マンションを買おうとお考えの方には意味のある情報になるでしょうから)

さて、一方、相場の「波」は感じないのですが、季節性を中心としたお客様の「買い気」の強弱で生じる「潮」の干満は感じ取っています。
感じとるというよりも客観的に観測していると言っていいでしょう。
そういう仕組みを(まだまだ不完全ですが)、ACSでは構築してきたと自負しています。
つまり、ACSはマクロで生じる大きな波を見て経営する立場ではなくて、お客様の買い気のようなミクロな潮の満ち引きレベルで経営しているということかもしれません。

実は、この潮を感じ取って経営していくスタンスはとても大切だと考えています。
ACSは所詮小舟です。売上100億にも満たない小舟ですから、大きな波には身を任せるしかないし、波の影響を受けやすい大海原に出て行こうなどと無謀なことは考えられない。
よく知っている近海を慎重に航行する。それがACSにとって正しく海で生きていく方法になっています。となると、潮の満ち引きにはとっても敏感になります。

3月も残すところ1週間ほどになりました。
まもなく桜も咲き始める。そんな季節になると、潮はどんどん引いていくことになります。
日本の春は変化の時でもあります。
その季節に間に合わせる為に、人は様々に動くものです。
住宅購入・転居も同じです。もう春の住宅購入シーズンはとっくにピークアウトしています。
いま、ACSにとっての環境は完全なる引き潮。ですから、私たちは次のシーズンに備えて船の手入れをする局面に入っています。

ところで、そんなシーズンですから、もし住宅購入をお考えなら4月は狙い目だと思います。
とりわけ中古マンションをお考えならば、なおのことです。
5月のGW明けには潮は再び上がり始めます。つまり、お客様の買い気が上がっていくのが5月中旬なのです。
3月までの商戦で売れ残った良質な物件がマーケットにはたくさんあります。
お客様(需要)が少なくなっていく季節ですから、売り手(供給)側は値交渉に応じる可能性が増します。と言いつつ、4月はみなさん、お忙しいのですよね。

次回、なぜACSが相場に影響を受けないのか。
違うスコープで書ければと思っています。
http://www.nikkei.com/article/DGKKASDJ19H2A_19032015QM8000/

テキトーな予断

リノベーションという言葉は90%以上の人々が認知していて、半分以上の人々がその内容まで理解しているのだそうです。これは2012年の調査。
もし、もう少しACSが儲かっていて、潤沢な調査費用を掛けられるなら、私はまずリノベーションに関するもっとタイムリーな調査をやりたいと思っています。それくらい、鮮度の高い体系立てられた情報がないのがこの業界です。

逆に言えば、それだけ未成熟だということですから、大いにやりがいもあります。でも、最初に中古マンションのリノベーション事業をスタートした頃には、産業の未成熟性を表面的なチャンスとしてしか捉えていませんでした。つまり、「どうせテキトーな事業者しかいないのだから、自分たちが少ししっかりやれば、あっという間に大きくできる」といった傲慢な態度です。

どうせテキトーな事業者しかいないはずという実にテキトーは予断は、自分たちの行動をテキトーにしていきました。振り返ると、2010年頃、私はリノベーションに高額の予算を投じることは愚の骨頂と考えていました。

これは、根拠の薄弱な人づてに聞いた話を基にしていました。「リフォームは現状復帰レベルでいいですよ。それよりも大事なのは再販価格です。安いことが大事なんです」と私は教わり、とても合点がいったのです。
その当時見た調査資料では、消費者がリノベーションを選ぶ最大の理由が「新築と比較してリーズナブルな価格」でした。ですから、リフォームの質よりも提供価格だという話にすっかり納得したわけです。

そうしてできた商品は、後から思えばとんでもないものばかりでした。コンセントもTV端子もない部屋。しかもそこには窓も収納すらもない。凸凹のままのフロア、しかもフローリングと称して木目調のクッションフロア(カッティングシートのようなものです)を貼っているだけ……お客様がどのように暮らすかなど全く考えず、単に現状復帰だけして「暮らせない家」を次々に作ったのです。

もちろん、マンションですから躯体を変えることができません。躯体という不変要素によって、最初からできないこともあるわけです。だからこそ、お客様の暮らしを考えて、投資不適格のマンションというものが存在します。しかし、その当時はそんなチェック機能もなかった。
果ては、ペットのための洗い場にしか見えない小さな風呂場、給排気がうまくいかずキーキーと金切音を出す部屋など、およそ住宅供給者として恥としか思えない商品が生まれました。

そして、売れないと悩む。今思えば、アホか! と自分を怒鳴りつけたくなる心境ですが、ここにも業界経験者から教わったあるアドバイスが潜んでいました。

なぜいまブログか?

なんでブログでACSのことを書き始めたのか?
それは、最近、ACSの物件を購入いただくお客様が色々とお調べになって、なるほど鎌田という人間が経営しているんだなと。
どんな考え方なのか知りたいというお話をいただき始めたことが大きいのです。

当初、ACSでリノベーションマンションを手がけることにした時、この業を投資と位置付けていました。
(間違った考え方ではありませんが、本質を射抜いてはいませんでした)
いまは小売業だと考えています。
したがって、お客様の声を率直に聞かなくてはいけませんし、また、供給者としてどんな考えを持っているのかについても積極的に表明する必要があります。

前回・前々回と、3/11に絡めて少し情緒的に書き過ぎました。もうすこし、現実的で具体的な事業上の「反省」や「改善」「気付き」について書きたいと思います。
その上でもう一度だけ、3/11の話に戻らせてもらいます。

2011年当時、昭和40年代、50年代に建てられたマンションをリノベーションして再販していました。そこに震災がやってきた。それでずいぶんと手痛い損失を被ったのですが、そこで角度の異なる学習をしたのです。

ひとつには、当然のことかもしれませんが、現在の耐震基準を満たしていない物件は、いくら安い価格で提供できたとしても再販対象とすべきではないということでした。
いい格好するつもりはないのですが、これは単に従来の耐震基準で建てられた物件で損をしたからではないのです。
そうではなくて、自分たちが提供している価値はなんだろうと考えた時に、やはり安心して住めるということを除外するわけにはいかないからです。
あの震災を契機に、ACSでは耐震性について厳格なルールを運用しています。旧来の耐震基準で建てられたマンションは原則として手がけないことにしました。(耐震診断を受け耐震性が確認できている場合は例外的に取り扱い対象としています)

そして、もう一つの気付きは、その後の戦略に影響を与えることになったわけですが、漠然と購入者を見るのではなく、どんな方が買われたのかを注意深く見るということです。
それまでは、恥ずかしながら、お客様を真剣に見ようとはしていませんでした。どんな方が買われたのか形式的にアンケートを収集するといった、さも顧客を知ろうとするかのような表面的な態度だけはありました。でも、本当にお客様の実態に迫ろうなどとはしていなかった。

ところが、あの震災で、どんな方が買ってくれるだろうかと願うような日々を過ごしました。どんな方がどのように暮らすのかを真剣に考えるようになりました。これまた、恥ずかしながら、どんなお客様が買ってくれるか表面的には仮説立てもしていたのですが、それも上辺だけの誰でも考え付くような中身でした。
いま、ACSでは1年前に物件をご購入いただいたお客様への直接ヒアリングを行っています。定期的に実際のお客様の暮らしを直接見せていただき、意見を伺うことで商品開発が具体的に変化していきました。

中古マンション屋の3・11

自己改革せよなどと左翼のセクトみたいなことをよく言っていました。
いざ、自分が具体的な改革を迫られると、なかなかそれに対応できないというのに。

変な話、地下鉄に乗るのが嫌でした。マンションを売っているわけですからいろんなところに出向く必要があります。儲かっていないんだから運転手をつけている場合でもない。
効率を考えれば、当然公共交通機関を使うべきなんですが、恥ずかしながらそれを受け入れるのも大変でした。

土日に働くというのもハードルの高いものでした。中古マンションは小売業です。いまははっきりそう定義できます。でも、当時、小売というベタな捉え方ができず、投資という性格の違う定義を当てはめていました。
(小売だというのも、投資だというのも両方正解です。いまはバランス良く見方を区分できています)

それでもようやっと行動を変革して、震災前には土日に仕事をすることが定着していました。投資という考え方から小売業として消費者を理解しようと努力を始めていました。直接、顧客に会うために現地販売会も行い、知り合いが来たら嫌だななどと思いながら自分もそこに立ちました。

そんなちょっとした努力もあって、私はACSの事業がようやく軌道にのる感触を得ていました。
色んな失敗があって、それによってずいぶん学習したと。
授業料をずいぶん払ったよねなどと言いながら2010年の年末に浮かれた忘年会を開いた記憶があります。

そして、2011年3月11日。
あの震災によって、事業状態は振り出しに戻るどころか、以前よりもさらに悪くなりました。
まさか、こんなことがあるのかと、その時はずいぶん恨みました。
恨む相手がいないから、自分を恨むしかないですね。
とにかくできることからやろうと、どうにか気持ちを上げて取り組むしかありませんでした。

前回、城東地区の昭和築マンションについて触れました。
実は、昭和築のいわゆる「旧耐震」マンションを当時ACSはずいぶん抱えていたのです。
そういう物件たちが売れなくなることが見えていた私の脳裏に、あるおばあちゃんのことが思い浮かんでいました。

そのマンションに、ACSは在庫を持っていました。
さきほど触れた現地販売会をその物件でも開催していました。
そんな折、そのマンションの上層階に住む高齢の女性が相談にいらしたのです。
「自宅を売りたい」
そのお話を営業マンが聞いて、とんとん拍子で買取せてもらう話が進んでいきました。

なぜ、高齢にもかかわらず、おばあちゃんがご自宅を売ることにしたのか。
それは、体を悪くしたご主人を入院先から老人施設に移すためということでした。
もう、ご主人はこのマンションには戻れない。どこかしっかりした施設に移ってもらうほうがいい。
老人施設に入所するためにはまとまったお金が要る。だからこの部屋を手放すしかないと。
そういう切実な売り事情でした。

私も営業マンと一緒におばあちゃんの話を聞きました。
ああなるほど、こういう貢献もあるんだな、私はそんな風に思って、この事業への気付かぬ役割を見出し密かに嬉しく思ったものです。
そんな中、震災が起きました。
そのマンションにも震災の影響は色濃く出ていて、まだ売れていない在庫は相当な損失を覚悟しなければならない状態でした。

買うことは約束したものの、あのおばあちゃんの部屋を買うことはできない。
経営としては、やはりお断りするしかなかった。
営業マンだけで行かせるわけにはいきませんから、私も一緒に断りに行きました。

おばあちゃんは震災の時、逃げようとして玄関ドアに手を挟まれて、指が千切れかけたというので手に包帯をぐるぐる巻きにしておられた。
近所の人たちがいい人ばかりで助かった。たまたま行った病院に指の専門医がいたから縫合がうまくいった。
そんな話を聞きながら、ようやくタイミングを見つけて買えなくなりましたと切り出しました。

帰り道。
営業マンとトボトボと駅に向かいながら、自分がすごくホッとしてることに気づきました。
なんのことはない。
私はおばあちゃんがすんなり合意してくれたことに胸をなで下ろしていた。
困っているお年寄りを助けるどころか、話を断ってホッとしているこの様。
なんとも情けなく、それでもそれが自分なんだと受け入れるしかありませんでした。

あの時、震災を理由にいくつか進んでいたお話を断りました。
偉そうなことは言えない。全てを見直して出直すしかありませんでした。

中古マンション業者として迎えた3月11日

それぞれの3・11があるのだと思います。
私ごときが語るべきではないかもしれませんが、ある中小事業者としてどんな風にあの震災を迎えたかを書こうと思います。

あの日、少人数で運営するACSは早々に帰宅することを決め、それぞれがそれぞれの方法で帰途につきました。
翌日、オフィスには出社せず、ある事柄を手分けして行うことにしました。

それは販売中物件に重大な問題が発生していないかの確認でした。
あの当時、4-5名のメンバーで一人当たり5-6物件を回ることにしたように思います。
私はとりわけ気になる城東地区(江東区・江戸川区といったエリア)を担当し見て回りました。

ここで背景を一つ語る必要を感じます。
当初、中古マンション再生・再販事業を手がける上で、「どのエリアを選択するか」という大変重要なテーマを随分と議論しました。
とても簡単に言うと、ACSは当初「(住むにおいて)人気のエリア」に投資していました。
(これが見事な失敗を生み出すわけですが、今日は端折ります)
この「人気エリア」仮説失敗のほぼ唯一の例外が城東地区でした。

厳密に言えば、城東地区は必ずしも人気ではありません。
しかし、東西線沿線にせよ、総武線沿線にせよ、都心距離が近い割に城西・城南よりも安い価格で物件を供給できるという強みは確かでした。
そんなことで、各不動産会社とも一様に「城東は売れ行きがいい」と発言していましたので、これは人気エリアなんだろうと投資対象に選んだわけです。
(その後、不動産業界で通説的に言われていることは、本当に全く当てにならないということを骨の髄まで知ることになるのですが、当時はまだ少しは信じていました)

こうしたことから、震災前、城東地区への投資を加速していました。
城東地区は東京の中でも歴史の長いマンション供給エリアです。
そこで、「築古」と呼ばれる昭和世代に作られたマンションに積極投資し、そこに質の高いリノベーションを施すことでバリューアップを目指していました。

話を戻します。
こうして積極的に投資していた城東地区の昭和世代マンションたちが、果たして無事だろうかと、私は震災当日から気を揉んでいました。
不動産に投資して回収する事業というのは(賃貸運用はまだしも、ACSがやっている再販・開発型ビジネスモデルは)つくづく大変だと思います。一つの仕事で二つ分、三つ分の利益が簡単に吹き飛ぶのです。
その額も大きい。しかも大概の場合、それを借金して運営するという尋常ではないビジネスモデルなのです。
(なんでやってるの? とここでは聞かないでください。どこかでお答えしますので)

その損失の恐怖が一挙にやってきて、いったいどのくらいまでいくんだろうか……最悪を想定していくと、途中で考えたくなくなりました。
だから、各物件がどれだけの被害状況なのかこの目で確かめたかった。物件がしっかり立っているのを確認して、迫ってくる恐怖を緩和したかったのでしょう。

震災翌日、静かな、でも明らかに雰囲気の違う江東区内に車を走らせました。
都心から一番近くにある物件。その外観を見たとき、ゾワッと血が逆流するのを感じました。
壁一面に何本ものひび割れが走り、一部はぱっくりと歪な穴が空いていて鉄骨も見えている。道路に散らばったコンクリの破片は痛々しいばかりでした。
エレベーターは使えなくなったと知らせる手書きの張り紙。住民の方々は室内の片付けに追われ忙しなく行き来します。
階段を登りながら、上層に向かえば向かうほど、揺れが激しかったことがわかります。普段なら感じないはずの階段のコンクリの厚み。それがどうも薄く感じられて壁に手を付かずにはいれませんでした。
大量の荷物を廊下に運びだしている住人から、まいったなぁ、こりゃダメだというような呟きが聞こえてくる。いや、聞こえた気がしたのかもしれません。

8階にあった保有物件のドアは軋む音こそすれ、すんなりと開いてくれました。室内にはさんさんと陽光が降り注いでいて、建物の惨状とは不釣り合いな平穏が流れていました。そこにできた大きな亀裂。明るいはずの室内なのに、どういうわけか目の前は真っ暗でした。

時間切れで、本当に書きたいことまで書けませんでした。もう一回だけ、この件、書かせてください。一週間以内で。

中古マンションを500戸超販売して感じたこと

久しぶりにブログを更新することにしました。
理由については、この後半で触れることになるかもしれません。

タイトルにあるようにインテリジェンスを離れてから、取り組み始めた中古マンション再生再販事業は絶えることなく継続し約6年が経とうとしています。

時が経つのは早いものです。見込み違い、遠回り、判断ミス、戦略ミス、とにかく失敗ばかり、よくもこれだけ積み重ねたものだと驚いています。

先日ですが、これだけ苦労しながら事業を育ててきて、そろそろ1000戸供給しているのではないかと思いつき、一緒に事業をやっている鈴木美紀子さん(財務管理系一式を担当してくれています)に「何戸?」と聞いてみましたら、なんとまだ571戸しか供給していませんでした。
なんということか。これだけ苦労してやってきてまだ1000戸もいってなかったのか!
そして、そんな基礎的な数値すら頭に入っていないのか、俺は!

そんな風に自分を責めましたが、つまりはそれだけ蛇行運転をしてきただけに振り返る余裕もなかったということでしょう。
1000戸に強い意味はありません。しかし、せめて「多くの家庭に良質な住まいを提供してきた」ということで胸を張りたいなと。それくらいはできているだろうという「自分を持ち上げる」意図で、ふと1000戸くらいやっているのではと考えたわけです。

さて、本題ですが、ずいぶんと自分は傲慢だったのだなと思っています。
自分の実力をもってすれば、どんな事業でもすぐに成果を上げられると思っていました。
でも、そんなわけはないのです。

一番の実感は、知らない場所で知らないことをスクラッチでやるのは、やはりとても大変だということです。
事業を作るということはそんなにたやすいことじゃない。
そんなごく当たり前のことを自分は忘れていたのか、あるいは、見ようとしなかったのか、あるいは、もう十分すぎるほどわかっているので乗り越えられると思っていたのか。
これは、もう完全に3番目だと思います(いまのところ)。

苦労や試練に慣れているはずのタフな自分を信じていました。
実際、メゲずにやれる人間だとは思います。
しかし、一番くらったのは、そういうタフネスをこの年になってまた使う羽目になってるよ!という起こった事態よりも、それに向き合っている自分にガッカリしていました。
感情としては情けなさというか歯がゆさというか、まさに不甲斐ないというやつでしょう。

20代・30代で経験済みであり、克服済みである事態にまた再会して、もちろん過去の経験が大いに役に立ちました。
それでも間違ったんです。いろんなことを。

これは誰に書いているというわけじゃないのです。
が、一種のコミットのためです。
自分のコミットをさらけ出すことで強化しようという。
外に宣言して自分を強化するという、ごく基本的な自己鍛錬をやりたくなりました。
もう少し、書くことにした理由があるのですが、それは幾つかの具体的失敗事例とともに次回書こうと思います。
(いずれにせよ、こうして書く場があったことは自分にとって幸いでした。ありがとう、アメブロ)

昇給

「物価は上がるは、消費税は上がるはで、先行き不安ですよ。ったく、給料はちっとも上がる見通しがないってのに」
てな具合の映像が最近ずいぶん流れております。
ロケ地はだいたい新橋の汽車ぽっぽ広場。
(世のお父さんたちが嘆く姿を繰り返し流すマスコミは「不幸大国」日本を盛り上げたいのでしょうか?
つい1年ほど前の選挙で「日本はインフレにする!」という宰相候補に何の文句も言わなかったくせに。
実際インフレになったら、物価上昇と言い換えるんだから始末が悪いです)


さて、この先、みんなの給料は上がるでしょうか?
即答ですが「上がります」!
私は経済学者でもなければ評論家でもありません。
でも、給料についてはそこそこ詳しい方だと思います。
加えて、自分なりに世の中の方向を見る感度はある方だと思います。
で、端折って見解を言わせてもらえれば、みんなの給料は上がるよ。
(すごく簡単に言えば、インフレって給与の上昇のことでしょ!
あとは、同じ意見の識者に聞いてください)


一方、平均所得が404万円とか、そのうち、非正規雇用については170万円とかそういう報道もあって、悪いムードが漂いました。
「やっぱな……もう、オレたちの給料上がんねえし」みたいな。
「ずっと下がりっ放しだし。老人多いし。年金上がるし。消費税上がるし。むりっ」みたいな。
そんな感じになってるのが、よくないと思っておるんです。


そもそも給料がどのように決定されるのかを考えないといけません。
思わず図を作っちゃいましたよ。

給与の構造KK

このようにですね、会社というのは自分が支払える以上にあなたに給料を払うことはできないのです。
そりゃそうですよね。儲かってないんだから払えない。
ところが、儲かってるからって払ってくれるとは限らないし、実際払わない。
で、意外なことに働いているあなたも文句を言わなかったりする。
つまり、あなたの給与はあなたが決めている。


ちょっと話が飛んだ感じなで、別の整理の仕方をしましょう。
会社が作っている評価制度なんて所詮みんなを納得させる道具に過ぎません。
公平性だのなんだのとゴタクを並べても、結局はあなたが納得する水準に給料を落着させる装置なんです。
もしですよ、あなたの納得できる半分の給与しか会社が払わない(「払えない」ではない)と言ってきたらどうします?
辞めるんじゃないかな。たぶん。でしょ?
だから、会社はさすがにあなたが得られると期待している給与の半分を提示するってことはしません(これ、理論上の話ね。いきなり給料を半分にしたら労基署が黙ってないとか、10%以上の減給はできないはずとか、そういうのはやめておいてください)。


で、あなたが得られると期待している給与額はどうやって決まりました?
もしかして、会社が決めてませんか?
知らず知らずのうちに「私はだいたいこんな稼ぎ」って思い込んでませんか?
歴史的に給与額の安い業界というのが存在します。
言いにくいけど(言っちゃうんだけど)、旅行業界、流通業界ね。典型例です。
ここにもたくさん優秀な人がいますが、ずいぶん安い給料で納得しています。
それが悪いとは言いません。
たとえば、旅行業界は競争が厳しいですし、あまり儲かっていない。
だから会社としての支払能力が低い=だから給料が安い。これは仕方ないですね。
でも、それが果たしてあなたの市場価値かというと、そうじゃないかもしれないわけです。


話が趣旨からズレました。軌道修正しましょう。
要は、あなたの給与は実はあなたが決めている。
会社に支払能力がある=儲かっている(いま、会社は結構儲かってますよ)のに、あなたは給料が上がらないことに納得してしまっている。
それはダメです。(経営には好都合です)
長いことデフレが続いて、みんなは給料が上がることを忘れてしまった。
っていうか、それぞれの能力を「売り込む」ことを忘れてしまっています。
「オレはこれだけ稼いで、会社に貢献してる」「オレの売上上昇は年率20%以上だ!」「だから給料を上げてくれ!」
そう言えばいいんです。
えっ、そんなに活躍していない?
いやいや大丈夫。そんなもの、言ったもの勝ちなんですよ。黙っていたら損をするんです。
「私は目には見えない貢献をしている」「地味かもしれないが、人知れずコツコツと実績を積んでいる」
見えなくて、人知れずの貢献を誰がわかります? わからないんだからドンドン主張すればいい。
主張しているうちに、自分が役に立っている部分が見えてくることもありますよ。
つまり、自分で主張すべきポイントを探して、会社にぶつけていくべきなんです。


そんなことで、給料は「上がる」ものではなく「上げる」ものなんだということで今日は終えておきます。
次回、もしかしたら、昇給を獲得するコツを例示しちゃうかもしれません。
(しないかもしれません)

直貼

体調について語るようになったら年だと思えと言う。
その通り過ぎて反論のしようがない。
だから、体調だとか健康だとかについては語らないようにしようと思っている。

同じように「俺も年だからさぁ」とか「40を過ぎたあたりでガタっときてさ……」
(私はこれに該当していない、例に過ぎない)とか「なんか白髪増えてね?」とか「ちょっと薄くなってきちゃってさぁ」みたいな話をできるだけ遠ざけている。
これを現実を直視しない逃避姿勢と受け取ってもらいたくない。
そうではなく、意識的に遠ざけることでの攻めの姿勢なのだ。

だから、一瞬の反応にも気を遣う。
さすがに、立ち上がりながら「よっこらしょ」はない。
しかし、柔軟性の乏しさによる筋肉の引き吊りなどで「あたっ」「あぐっ」「うぐっ」といった唸りはつい出てしまうものだ。
それでも、注意すれば抑制はできる。
気付かぬうちに発する唸り声で加齢を見てとられてはかなわんのだ。

何が言いたいか?
聞きたくないなら読まないでくれ。もう。
もうどうせ、行き当たりばったりに書いているだけなんだから。
要は、体調うんぬんを書きたいわけじゃないのだが、書こうと思っているという前置きなのだ。
(この前のブログでも体調の話だったからね……ネタないのかよ、他に……)

そろそろ、本論に入ろう。
私が長年悩み続けてきたすごく軽い疾病(?)というか症状(?)がある。
これはもう子供の頃からだから相当に長い間悩んでいる。
(ここから気持ち悪くなる可能性が高いから気を付けてもらいたい、読まない方がいいかもよ)

それは口内炎だ。
どいうわけか3ヵ月程度の周期で現れるこの厄介な軽い疾病は、まさに私にとって小さな大問題。
いや大きな小問題か! まあ、それはいい。
それはいいとして、とにかく周期的にやってくるこの口内炎が毎度毎度痛いのなんのって。
出来たら最後1週間2週間痛いまんまで、好きなコーヒーもマズイ、ワインもマズイ、何を食べてもうまくない。
その上、打ち合わせの間も痛い。発言をするにも痛い。
仕方なく、大事なこと以外発言しなくなったりする(場合によっては大事なことまでどうでもよくなる)。

こんなことを考えたこともある。
この忌々しい患部をいっそ焼いてしまったらどうだ!(余計ヤバいでしょ)
そうだ、痛いんだから何も食べなきゃいい!(腹減るし)
病院に行こう!(薬を処方されるだけで即効性はない)
チョコラBBの大量摂取だ、まとめて一瓶飲めばどうだ!(全然ムリ)
なんでもいいから、すぐに効く対処法はないのかよ! クソっ! といつもこういうぐるぐるとした思考循環を繰り返すばかりだったのだ。つい昨日まで。

いや、マジでたまには薬局にも行くもんである。
ありました。新しいテクノロジーがあった。
ケナログじゃなくアフタッチ(これ出た時はすごいと思ったけど、結局そんなに使えなかった)でもなく、「トラフルダイレクト」ってのがあったんです。
口内炎で悩んだことない人は全く関係ない話だけど、このトラフルダイレクトは良い!

一見すれば円形の紙ですね。
いわば薬効成分が沁みたハイテクの紙ですよ。
まあ、成分は昔からあるケナログと同じなんで、そこはシラケるんだけど。
患部にきれいに貼りついてしかも剥がれない!
簡単には剥がれないから患部がガードされて気分晴れ晴れ。
不自由なく……とまでは言えないけれど、大げさに言うと、患者のQOLは相当上がります。
だって、食べたり飲んだり話したりがすごく楽なんですもの。うふん。

ただまあ、成分は「トリアムシノロンアルデヒト」ってやつ。
名前だけ聞くと毒としか思えない。
実際、ステロイド成分らしいからあんまり使っちゃいけないのかな。
このあたり、名前のおどろおどろしさ以上に副作用の知識なんてゼロだからただ怖がっているだけだけど、とにかくこれは便利。
それが言いたくてこれだけ書きました。
所要時間35分。長いっつうの。

異臭

(内容が気持ち悪いので読まないほうがいいかもしれません)

一人異臭騒ぎである。
つまり、誰も騒いでいないのに、一人だけ異臭がすると騒いでいるというわけだ。
私の嗅覚はそこまで敏感ではない。
ところが、今週立て続けに異臭問題が発生した。
(これを個人的には異臭イシューと呼んでいる)


最初に感じた異臭は異臭というよりも悪臭だった。
夏場だけに仕方ないだろうが、狭い会議室の場合、どうしても換気が悪くなる。

その場は「若い男子がいるから部室っぽいのは仕方ない」とうことですませた。
犯人にされた男子はたまったものではなかろうが、まあ、その程度で終わったわけだ。


ところが、間もなく本当に堪え難い臭気に襲われた。
それはMくんが運転する社用車(作業車)で起きた。
ある場所まで便乗を決め込んだ私が助手席のドアを開ける。
マックス状態のエアコンが、うなりを上げ勢いよく冷気を吹き出していた。
乗り込みぎわ前屈みになった私の鼻腔に、その人工風が直接ぶち当たった。


この瞬間、堪え難い異臭が鼻腔内に広がった。
臭気について言葉で表現するというのはなかなか難易度が高い。
難易度は高いがこれも訓練だと思って綴ろう。

まず、はじめに鼻が受け止めるには明らかに大きい粒子が鼻腔の奥ではじけた。
はじけた直後、ツンと頭の奥にまで突き上げる刺激があり、刹那軽いめまいを覚える。
それから芋焼酎を極限まで蒸留してムンムンさせたような強烈な臭気が鼻腔内に充満した。
臭いは静かに腔内に沈殿していく。古い醤油を凝縮した重い香り。そこに、シンナーのような化学材料を混ぜたような匂いが加わった。

化学臭と芋焼酎をムンムンさせた臭いの由来は同じかもしれない。
ワインで言えば、一次アタックと二次アタックの原因物質が同じというケースだろう。
分析するに、古い醤油の臭いに頭がガンガンする化学臭を混ぜたような臭いということになる。


すぐにエアコンの吹き出し口を閉じ、車が動き出すと同時に窓を全開にした。
鼻を塞ぐ手を緩めず、運転するMに考えられる原因を尋ねる。
尋常ではない異臭だというのに、なんとMは半笑いである。

「昼に食べたラーメンのせいですかね?」
Mは薄笑いを浮かべたまま答える。
しかも、的外れとしか思えない回答だ。
この男が食べたラーメンの臭いが、車のエアコンから、こんなに勢いよく吹き出すわけがない。

「ニンニク入れたんで」
就業中だというのに生ニンニクをラーメンに入れて美味しく食べたことを臆面もなく告白するM。
しかし、ニンニクくらいでこれだけの異臭が生まれるわけがない。


言うまでもなく、異常であるか正常であるかは相対的に判断される。
どうやら、この異臭は私にだけ感じられるものなのだ。
つまり、異常なのは臭いではなく私かもしれないわけだ。


この事態を共有した身近なスタッフがポツリ。
「脳梗塞で倒れた祖父が同じようなこと言ってたんですよねぇ」


異臭イシューなどとふざけている場合ではない。
病院、行こうかな……
人知れず弱気になる週末である。